2018年04月25日 18:22
「自分の心に言い聞かせてみたらどうかな」
「何をです」
「いま君がここにいるということをだ」
栄介は小首をかしげた。
「なぜ君はここにいるのかね」
「それは、つまり……」
「新宿の町をぶらぶら歩いていた。そうだろう」
「はい」
「理由もなく、ただ足の向くままにこの通りへ入りこんだ」
「そうです」
「するとここの灯りが見えた。君には迷いと不安があった。そのふたつを解消させる鍵《かぎ》がここにありそうな気がした。それで儂の前へ現われた……。違うかな」
「いいえ」
栄介は首を横に振った。操り人形のように、老人の言うがままになっているような感じであった。
「君は何かに導かれてここへ来たのだよ」
「そうでしょうか」
「そうだとも。その証拠に、儂はひと目で君が宝くじを当てたことを見抜いたではないか。夜の新宿にはたくさんの手相見がいる。易者がいる。そういう連中のところへはなぜ行かなかった。儂のところへ来た」
「偶然です」
「偶然かな。偶然ということが本当にあるのかな」
老人は諭《さと》すような言い方をした。
「あることの因果《いんが》関係がよく判らないとき、人はすべてを偶然にしてしまう。まあそれもよかろう。だが、それでは儂が言い当てたことも偶然になってしまう。そうではないのだ。君はある力に操られている。何者かが君に一千万円をさずけた。儂にはそれが判る」
老人は栄介に顔を寄せ、ささやくように言った。
「いったいどんな力に操られたのです」
栄介は老人に尋ねた。トルコ帽のようなものをかぶり、白茶けた眉毛を盛りあがらせたその奇妙な老人は、薄い唇をきつくとじて睨みつけるように栄介をみつめた。
「儂には判る。儂にはよく判っておる。しかし教えても信じるかな」
老人はきつい表情のまま首を左右にゆっくりと振る。
「まだ信じまい。もっと信じられる時が来たら教えよう。今はまだ教えん。しかし、或《あ》る力が君を欲していることだけはよく憶えておくがいい。そのものは、今後ことあるごとに君を自分の近くへ呼び寄せようとするに違いない」
「どこへ僕を行かせる気なのです」
「いずれ時が来たらそれも教えよう」
「なぜ今ここで教えてくれないのです。僕はそういうことが知りたくてここに坐っているんですよ」
「慎重にかからねばならん。事は君が思っているよりはるかに重大なのだ」
「教えてください」
栄介は子供のようにせがんだ。湧《わ》きあがる好奇心をおさえるすべがなかった。
しかし老人は、ひどく深刻な様子でまた首を振った。
「いいかね。僕は迷い悩む人々を救う立場にある。今君にすべてを教えるのはかんたんだが、それでは逆に君を邪悪な力に引きわたすことになる」